ショスタコーヴィチ(2)

こんにちは!毎週のご挨拶となります、コーラです。

前回は、ロシアの作曲家・ショスタコーヴィチの「革命交響曲」とその解説を

初めて聴いた印象について述べさせて頂きました。

今回は同じ「革命交響曲」の解説を時が経ち、

今から7年前位に再び耳にしたところからお話を進めさせて頂きます。

 

以前と見方が違う

7年位前に一メディアのラジオから

「革命交響曲」の解説をまた聞く機会がありました。

時期的には東日本大震災の少し後でした。

 

この時のラジオ解説は、前回お話ししたあのフィナーレの部分について、

「ロシア音楽の優美な作風をショスタコーヴィチが見事に体現している」

という程度に収まっていました。

 

私はこれを聞いた時、最初に聞いた解説と見方が違うとすぐに思いました。

同じメディアで解説が違うというのは何か違和感を覚えます。

少なくとも最初のラジオ解説で聞いた

「ソヴィエト政府に対する抗議」とは一言も話していませんでした。

 

レニングラード交響曲についての解説

そして今年初めにBS波の同じメディアから、今度はショスタコーヴィチ作曲の

「レニングラード交響曲」についての解説を聞く機会がありました。

 

この曲を作曲する時、当時ソヴィエト連邦のレニングラード

(今のロシア共和国のサンクトペテルブルグ)に

ドイツのナチスが侵攻して来てきそうな気配だった時だったそうです。

 

そこでショスタコーヴィチは当時長く作曲拠点としていたレニングラード市民に

ナチスに抵抗し戦争に勝利するといった成功話を作曲しようという動機がありました。

 

作曲中にショスタコーヴィチは当時レニングラードに居住していたのを

曲の完成がナチス侵攻によってショスタコーヴィチに危害が及び、

出来なくなるのを恐れた政府がショスタコーヴィチをレニングラードから

1300km離れた安全な場所に強制移住させたようです。

 

政治に利用された作曲家

ソヴィエト政府の当時の代表はスターリンだったらしく

ナチスのヒトラーもスターリンも音楽というものが

戦争の結果をも左右するような威力を持っていることから

政治利用できるものだと分かっていたようです。

 

第二次世界大戦で勝利した一国家の代表だった

アメリカ合衆国のルーズベルトもそれは同じで、

戦争中による特例で3期目の大統領当選を果たしたかった彼は、

当時の自身の政策が国民に支持されるために、

ソヴィエト連邦に対する国民の悪いイメージを払拭したかったらしいです。

 

アメリカ側としてもレニングラード交響曲を国内で初演させたかったらしく、

密輸ルートでナチスの包囲網をかいくぐり、

ソヴィエト連邦からアメリカ合衆国まで全譜面を密輸船で運んだそうです。

 

そして、国内初演奏をし、マスメディアはショスタコーヴィチのことを

「ソヴィエト国内でナチスの巨悪と戦う正義の作曲家だ」

というようなことを書き立てたそうです。

その結果、ルーズベルトは3選を果たすことが出来たらしいです。

 

何だか、ショスタコーヴィチと言うのは、

世界中で政治目的で利用され続けながら作曲活動を続けたことが分かります。

 

再度ショスタコーヴィチの本心

しかしBS波のその番組によると、

ショスタコーヴィチは親しい友人に力を込めて話していた内容は

反ナチスは勿論のことで、それとは別のところにもあったそうです。

 

長くなりました、次回ショスタコーヴィチ(3)へ続きます。

お楽しみに。

 

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