ショスタコーヴィチ(1)

こんにちは、金曜日毎にコーラです。

 

前回は没ネタ話をしましたが、今回はそのついでに出た

現代クラシック音楽の草分けと言われている

ロシア-ソヴィエトの作曲家・ショスタコーヴィチと彼を取り巻いた政治情勢、

それと日本のメディアの見方の変遷について述べたいと思います。

 

革命交響曲のフィナーレ

私がこのショスタコーヴィチ作曲の作品に出会ったのは、1987年末の頃でした。

当時ドビュッシーの不協和音に魅せられていた私は、

一メディアのラジオから聴こえてくる「革命交響曲」は

和音とは程遠い音で演奏されているのを聴き、とても新鮮に思えました。

 

特に印象的だったのがフィナーレの部分で、

打楽器の音が規則的に秩序正しく響いているのをバックに、

弦楽器が緊張感溢れる旋律を奏で、時々トランペットが主旋律を担当して

ある意味集大成とも言える壮大なラストです。

 

初めてこれを聴いた時、このフィナーレはとにかく秩序正しくかっこいい、

こんな端正なラストを作曲したショスタコーヴィチは

何で曲の全てをフィナーレのように

秩序正しくしなかったんだろうと思いました。

 

ソヴィエトの監視

ところがラジオの解説からは、ショスタコーヴィチはこの曲を作曲する際に

当時建国されたばかりのソヴィエト政府にものすごく厳しく監視されながら

作曲したそうで、少しでも曲が政府の意にそぐわないと

書き直しを命じられていたらしいです。

 

ショスタコーヴィチの本心

そしてあのフィナーレの部分は、

ソヴィエト政府を賛美し敬意を表した部分だということですが、

ショスタコーヴィチは表面上は政府に敬意を示しつつも

実際の本心は抑圧された生活を送らざるを得なかった

政府に対する抗議だということでした。

 

一方で政府の顔を立てて書き直しを命じられないための

ギリギリの産物だったと言うことらしいです。

 

私の最初の見方

最初私はラジオの解説にそんな風には思えないという見方でした。

 

しかし当時曲を聴き返すと確かにトランペットの鳴り響く音が、

何だか背後から大きく発せられる野次のように聞こえなくもない。

打楽器の音が規則正しく秩序正しく響いているのを

トランペットがぶち壊しにして、

何だか冷やかしているような印象を受けました。

 

流されやすかった私

ただ、この時はまだショスタコーヴィチというよりかはメディアの真の姿を

私は知らなかったために、解説に安易に合わせ身勝手な解釈をしていました。

 

熱くなってしまいました、次回ショスタコーヴィチ(2)に続かさせて頂きます。

関心のある方は次回もお付き合いの程、よろしくお願いします。

 

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